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Face to Face(新聞『自由民主』対談シリーズ)

face_photos01Face to Face No.64

「われわれは地球人!」を基本ビジョンに掲げ、 新進気鋭の若手議員として活躍する 西村明宏衆議院議員。

たくましい子供に育ってほしいと福島県に 「小野田自然塾」を開いて、はや25年。 86歳の今も、元気いっぱいの 小野田寛郎さん。

今年は、日本人のブラジル移民100周年に あたることから、 ブラジルへの熱い思いのお2人に、 「自然」と「教育」について語っていただいた。

行き過ぎた個人主義に憂慮(西村)

西村:小野田さんが昭和四十九年にフィリピンのルバング島から日本に戻られたとき、私は中学生でした。そのとき小野田さんが三十年もの間、島内で任務を遂行されておられたこと、そして任務の解除命令がないと戻れないとおっしゃられたことに、中学生ながら筋を通すことの大事さを感じたものです。

小野田:軍隊に入れば命令に従うというのは当たり前のことですが、根本的には、国のためには死んでも致し方ないという覚悟があったから、やれたことなんですね。やはり国とか、日の丸とかが背後にあって初めて、全力が出るのではないでしょうか。

西村:戦争でお国のために多くの尊い人命が失われた悲惨な歴史によって、戦後の教育においては個人を大事にしようという意識が大変強くなってきました。個人が大切にされることは、とても重要なことですが、現代では行き過ぎた個人主義に陥っているのではないかと憂慮しています。

小野田:個人主義も結構なのですが、本当の個人主義は相手の存在をも認めなければいけない。それを誤って、生半可な利己主義になっているから問題なんですね。人間というのは、一人では生きられないんです。どう頑張ってみても一人で生きられないんだったら、僕は人と協調するのは苦手なんですが(笑)、我慢しながら人と折り合いをつけていかなきゃいけないというのが本当の姿ではないでしょうか。

西村:自分の自由を尊重してもらうためには、相手の自由を尊重しなければなりません。今、わが国において自由ということと、放縦・わがままということが、混同されてしまっているような気がします。日本の将来を考えると、大変心配です。

小野田:一時、子供の権利ということを言われたことがありましたが、あれは、ろくろくご飯も食べられない、教育も受けられないというような環境にある国の子供たちのためのことであって、日本のように経済的に恵まれている子供に、大人と同様のすべての権利なんてあるはずがないんです。

西村:私は衆院文部科学委員会の理事などを務め、教育問題に取り組んできました。その折に、子供が荒んでくるのは学校の責任だという話が出たんですが、本当に学校だけの責任なのかなと感じました。小学校に入学した早々から、授業中に座っていられない、騒ぎ回る、先生の話を聞けないという子供が増えています。小学一年生の一学期から、学級崩壊が起きているという現状は、おそらく子供たちを育ててきた家庭や地域社会にも問題があるんじゃないかと思うんです。

小野田:自分の子供が集合写真の真ん中に写っていない、学芸会で主役でないからと、学校に抗議を申し立てるような親が子供を育てたら、そうなってしまいますよ。こんな話を聞いたことがあります。ご主人の英国駐在に伴って、奥さんも犬を連れて一緒に行かれたそうです。外国では犬の調教がきちんとなされていないとうるさいので、彼女も愛犬の調教をしました。トレーニングが終わってから調教師に、「犬も人間と同じように、調教しないといけないんですね」と言うと、調教師は「奥さん、違います。人間の子供も犬と同じように教えないといけません」って言われたそうなんです。

西村:そうですか(笑)。

僕は、「君たち、どうする?」と聞くだけ(小野田)

西村:お聞きするところでは、昭和五十五年に金属バットで子供が両親をあやめた、いわゆる「金属バット殺人事件」に小野田さんが大変心を痛められて、子供たちの育成のために「小野田自然塾」の開設を思い立たれたそうですが。

小野田:自分の両親をあやめるなんてことをする前に、あの浪人生は家を出ればよかったんです。僕は父親と意見が合わず十七歳の春に家を出たんです。彼は自立心がなかったんでしょうね。いつまでも甘やかす親が悪いのか、いつまでも甘えている子供が悪いのか分かりませんが、もう少し早く、自分がなりたい目標を持てる子供になってほしい、というのが自然塾の目指すところなんです。

西村:日本の教育全体として、人間が生きること、死ぬことについてしっかり教えて、だから命は大事にしなければいけないといったような、知力だけでない真の心の教育をしなくてはいけないと思います。その一つの手段として、自然に大いに親しむことによって、「生」「老」「死」という自然の摂理が分かってくるのではないでしょうか。

小野田:自然というのは本当に多種多様であり、そういう環境に子供たちを自由に放つ。そういうことをして初めて、子供たちはそれぞれ自分の持って生まれた才能や、興味のあることを見つける。自然は、最高の教師。子供たちが自分の才能に気づくいちばんいい場所じゃないかと思います。また、自然の中に独りぼっちにされることで、人間の弱さと同時に自然の大きさを自覚する。山の高い稜線に立って下界を見下ろすと、人間というのはちっぽけなんだな、と。私たちは自然に対して謙虚でなければいけませんが、それが分かるのは、そういう体験をして初めて分かるんですね。

西村:自然塾で子供たちに学んでほしいことは何ですか。

小野田:子供たちには、「ここは何かを教えるキャンプじゃない。自分で気づき、自分で考えるキャンプなんだ。自分で身を守らなければ、死ぬのは自分自身なんだよ」と話しています。基本は教えますが、細かく「あれをしてはいけない」「これをするな」とは言わないようにしています。子供たちが何か予想外のことに直面して困っていても、「そんなときはこうしなさい」などと強制したりはしません。「君たち、どうする?」と聞くだけです。どの子供も、それぞれ異なった性質と知識を持っており、考えることは別々です。自分に最適な解決法は自分で考えるのが最良で、そうすることで彼らの潜在能力が発揮され自信につながるのです。

西村:子供たちに自分で考えさせる。それはとても大切なことですね。
とても感銘する光景を目の当たりにしました。
例えば、トイレやシャワーでは、大人数が殺到して、みんな少しでも早く使いたいのに、きちんと順番を守っている。また、トイレで小さい子がいたら「先に使いなさい」と譲ってあげている。人に対する思いやりや譲り合いが、あちらこちらで実践されていました。しかし残念ながら、ボーイスカウトに入団する子供たちは減ってきているんです。ボーイスカウトに入って、さまざまな体験活動を通して、心身のたくましさを身につけることよりも、塾へ行って勉強するほうが、受験に有利だからと、敬遠してしまうのが現状です。

小野田:確かに、まずものを覚えて、基礎を作らなくてはいけないんですが、そのことに偏りすぎているような感じがします。もっと大事なのは、それを応用する能力、さらには、何かを見つけ出す能力なんですね。誰にも教わらなくても、ここには何かあるんじゃないか、あるいは、これは何かに使えるんじゃないか、と。現代の子供たちは、そんな能力に欠けているのではないですか。

西村:おっしゃる通りだと思います。

 

今、日系一世の努力がブラジル中で結実(西村)

西村:今年は、ブラジル移民百周年に当たります。明治四十一年、神戸港から出港した笠戸丸に始まるブラジル移民ですが、サントス港に着いた移民の皆さんは、その後大変なご苦労をされ、頑張ってこられたとお聞きしています。そうした努力の成果が今、ブラジルのいたるところで花開いています。
例えば、日系移民はブラジルの人口の約一%にすぎませんが、中南米屈指といわれるサンパウロ大学の学生のうち、日系の学生が一五%、同じく教授はなんと三〇%を占めているそうです。一世の皆さんは、厳しい暮らしの中でも教育にはずいぶん力を注がれていたのですね。

小野田:移民の社会では、まず技術者が頭角を現します。その次に弁護士、それから地方議員、市長、大臣と出てきたんですが、軍隊だけはなかなか大将になれなかった。それが、九十八年目で初めて空軍トップの大将が出たことで、ブラジル社会のすべてに日本人が進出したことになります。
西村:日系移民の皆さんが、ブラジル社会に溶け込み、本当に信頼を得ているからこそ、そういう地位を占めることができたわけですね。

小野田:遠くと組んで、近くを攻めることを「遠交近攻の策」と言いますが、日本みたいに資源の少ない国は、ブラジルなどがパートナーとしては一番いいんじゃないでしょうか。

西村:日本にとってブラジルは、政治・経済的にも、また戦略的にも非常に重要な国であることは間違いありません。日本人もブラジルが好き、ブラジル人も日本が好きという、この状況を日系移民の方々が大変な努力をされて築いてくださったことは、何よりも大きな財産だと思います。
小野田さん、本日は興味深いお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました。小野田自然塾のますますのご発展を祈念申し上げます。

小野田:こちらこそ、ありがとうございました。